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バンブラと私
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この記事は、バンブラ P アドベントカレンダー 2023 の参加記事です。
https://twipla.jp/events/585629
バンブラとは
略さずに言うと、『大合奏!バンドブラザーズ』で、ニンテンドー DS のローンチタイトルの一つです。DS のローンチタイトルということで、ポケモンダッシュとか、スーパーマリオ 64DS とかと同期ですね。最初期はゲームボーイカラーのソフトとして企画が始まったとのことですが、紆余曲折あってニンテンドー DS のローンチタイトルとなりました。
ゲームタイトルが示す通りこれは『合奏』を楽しむゲームで、1 曲が 8 パートに分かれていて各楽器の演奏を余すところなく楽しめます。 一人プレイでいわゆる音ゲーとして遊ぶのはもちろん、近くの友人と合奏を楽しむことができます。
初代バンブラには隠しモードとして『スコアメイク ☆PRO』という作曲機能があり、続編である『大合奏!バンドブラザーズ DX』ではこの作曲機能が大幅にパワーアップし、ユーザによる楽曲の投稿とダウンロードができるようになりました。合奏はもちろんのことながら、この 作曲機能 に魅せられてしまったユーザがバンブラ界隈には数多く存在し、私もそんなユーザのうちの一人です。
3 作目である『大合奏!バンドブラザーズ P』はハードを変えてニンテンドー 3DS で発売されました。前作から引き続いての楽曲投稿システムのほかに、Wi-Fi 経由で遠くの友人との合奏が楽しめるようになりました。これにより、ユーザ間の交流がさらに深まった印象があります。
自己紹介
私は、バンブラ界隈では『あがるさがる』という名義で活動していました。
バンブラ用のツイッターアカウントを作ったのがいつかは覚えていませんが、突発的にアカウントを作成したような気がします。楽曲は、最終的に 23 曲くらい配信されていたはずです。
ツイッターを始めた当時は確か高校 3 年生で、いまは社会人 6 年目です。何年経ったかを計算するのはやめましょう。
いまは Web エンジニアとして働いていて、日々プログラムを書いて暮らしています。社会人になって最初の 4 年間は東京近郊に住んでいて、今は北陸に生息しています。
『あがるさがる』の由来
我ながら、結構おもしろい名前だと思います。
私がツイッターを始めた当初はまだギリギリ mixi が流行っていました。
mixi では普通に本名をもじったようなハンドルネームで活動していて、徐々に気分の上がり下がりによって(多感な時期でしたので)名前を『あがるあがる〇〇』『さがるさがる〇〇』のように変更して遊ぶようになって、その遊びと同タイミングでツイッターを始めたので『あがるさがる』になりました。つまりよくわからない、ノリで決めた名前です。
ノリで決めた割にはポップでキャッチー、エゴサもしやすい名前で気に入っています。
語感もよくてネタにしやすい名前だったので、界隈では(名前を)結構気に入ってもらえていたのかなと思っています。
バンブラで遊ぶのももちろん楽しかったのですが、それと同じくらいかそれ以上に、ツイッターでの交流が楽しかった。くだらないツイートをして笑ったり、耳コピの進捗を共有しあったり、フレンド合奏に参加したり、ときにはバンブラじゃないゲーム(とび森とかスマブラとか)で一緒に遊んだりと、かなり濃密な時間を過ごしました。
後で書きますが、ゲームを通した交流だけでなくオフ会に参加してリアルな交流もたくさんしてきました。
私とバンブラとの関わり
はじめてのバンブラ
私が初めて購入したバンブラは、シリーズ 2 作目の『大合奏!バンドブラザーズ DX』です。単純によくある音ゲーの一つとして購入して、普通に遊んでいました。
後の方になってはじめて、楽曲の打ち込みができることに気が付きました。当時は吹奏楽部に所属していたので、フルスコアを部室から借りてきてバンブラに打ち込むというしもべ活動がスタートしました。
楽曲投稿はしていなかったと思っていたのですが、改めて過去のツイートを遡ってみると、1 曲だけ『エンターテインメント・マーチ』という吹奏楽曲を打ち込んで配信していたみたいです。ということで、作曲しもべとしてのキャリアはバンブラ DX から始まりました。
しもべツール
次回作の『大合奏!バンドブラザーズ P』が発売される少し前、体験版が配信されました。この体験版、いま思い返すとすごく変なのですが、バンブラの 作曲機能だけ を切り出したゲームで、その名も『しもべツール』といいます。
余談ですが、バンブラシリーズには『バーバラ・バット』という蝙蝠のキャラクターがいます。
バンブラ界では、この『バーバラ・バット』に仕えてゲームの運営や楽曲の投稿、審査をする『しもべ』と呼ばれる人々と、ゲームをプレイする『ブラザー』と呼ばれる人々がいます。
『しもべツール』は、ゲームの発売前にただひたすら耳コピをさせられ、配信楽曲を増やすために動員される 『しもべ』のためのゲーム であると言っても過言ではありません。 事実、『しもべツール』ではこのゲームの肝心要であるはずの合奏はプレイできず、ただひたすら楽曲の投稿が開始されるその日まで持ち駒を溜めておくというおかしな体験を提供する体験版でした。
そんな『しもべツール』ですが、私も例にもれずバーバラ様に導かれてインストールしていました。『しもべツール』では、当時狂ったように聴いていた back number の『高嶺の花子さん』をせっせと耳コピしておりました。
これ以降、私の楽曲投稿しもべとしてのキャリアが本格的にスタートすることになります。
いろいろな人格
話は変わり、ツイッターの話です。バンブラの楽曲投稿者としては『あがるさがる』という名義で活動しており、ツイッターでも最初は同じ名義で活動していました。
しばらく界隈に浸るうちに、内輪のノリでハンドルネームをコロコロと変えるようになりました。冒頭の画像は、その遍歴を 1 枚の画像にまとめたものです。
いくつかピックアップして振り返ってみます。
あがるさがる
ベースとなる人格です。これがいないとほかの人格は生まれていなかったでしょう。
顔は鷹の爪団のデラックスファイターを拝借して、カワイイ感じに仕上げています。なんでデラックスファイターなのかというと深い意味はなくて、単純に当時鷹の爪団にハマっていたからです。
しょんぼり顔もカワイイです。
峠
記憶の限りでは、はじめて自然発生的についたあだ名?です。『峠』という一文字に『あがるさがるさん』の構成要素が全て入っているからということで、このアドベントカレンダーを企画してくれた午後の紅茶さんという方が最初にそう呼んでくれたと記憶しています。
『峠』の意味については、午後茶さんの解説ツイートを見るのが早いです。
白浜キャンペーン大使
これは、和歌山県は白浜でのオフ会 をもげさん、100円さんという方と企画したときの人格です。誰かに言われて大使になったのか、自発的に大使になったのかは覚えていませんが、とにかく白浜を宣伝していました。TL で白浜という文字列を見かけると bot みたいに反応してみたり、なんでもかんでも白浜につなげてみたりと、しつこく宣伝をしていました。
白浜オフの開催予定日と同時期にバンブラの公式的なオフ会、通称 公式オフ が開催されることになり、公式に集客で負けないぞ!という意気込みを込めて『@公式に負けるな』を名前につけて宣伝していた時期もありました。
おかげさまで白浜もすっかり定着して、3 度も白浜オフが開催されています。白浜は最高だぜ!
(もげさん、100円さん、3 回目の白浜オフを企画してくれたみすとさん、白浜オフに興味を持ったり実際に参加してくれた皆さん、ありがとうございました!!)
David Jackson
I'm David.
耳コピという挑戦
とにかくたくさん、耳コピをしました。
幼いころからピアノを習い、中高で吹奏楽、大学でジャズ研とずっと音楽には触れて生きてきたのですが、耳コピは本当に難しい。
Belkin のイヤホンスプリッターを買って、ずっと iPod touch とイヤホンスプリッターで耳コピしてました。起きたら耳コピ、空きコマにも耳コピ、帰宅したら耳コピ、寝る間を惜しんで耳コピと合奏の日々でした。
実は、耳コピして曲が完成したらすぐに配信されるわけではなくて、審査しもべ と呼ばれる人たちの審査が間に入ります。これがかなり厳しくて、とにかく不採用の連続。
トマトと呼ばれるゲーム内通貨を払えば、プレミアム審査という特別な審査が受けられて、この審査では定型文ではなく具体的な指摘がもらえます。
ただしプレミアム審査でも、この枠内に収まる分だけしか指摘がもらえず、かつプレミアム審査は先着順だったため、採用は本当に遠い道のりでした。
ところで、エンジニア界隈には自分が書いたプログラムをほかのメンバーにレビューしてもらう、コードレビューという文化があります。
いま思うと、この審査というシステムはこのコードレビューと似ているなと思います。なんなら、定型文から修正箇所を察して適切な修正をしないといけないという点ではコードレビューよりも高度であると言えます。
自分はあまりコードレビューで指摘を食らうのが苦痛ではないのですが、多分おそらく絶対に、この時の経験が生きています。
作詞作曲という挑戦
バンブラ P では、既存楽曲の投稿だけでなく定期的にオリジナル曲のコンテストが開催されていました。時期ごとに様々なテーマが設けられて、そのテーマに沿った楽曲を各自が投稿して、グランプリを受賞した楽曲はバンブラの楽曲として配信されたり副賞が送られたりしました。
あえてリンクは載せませんが、自分も何曲かを作詞作曲で参加して、何曲かを ヒロくんという最高のユーフォニアム奏者 と共作という形にさせてもらって作詞で参加して...と、こちらの方面でもそれなりに精力的に活動しました。
今まではもちろん作詞と作曲のどちらもやったことがなかったので、個人的には大きな挑戦になりました。今でも当時 作詞/作曲 した曲を聴くと、当時の出来事や考えていたことが走馬灯のように蘇ります。
オフ会という挑戦
オフ会にもよく参加しました。普段はオンラインで遊んでいる人たちと直接、つまりオフラインで会うことです。
地元の近くで開催された大阪でのオフ会を皮切りに、名古屋、千葉、白浜、愛知、仙台といろんな場所に行きました。
東京にはもちろん何度も足を運びました。大体夜行バスで行くのですが、毎回午後茶さんが朝早くに 迎え撃ちに来てくれて、朝から行動を共にしてくれてとても頼もしかったことを覚えています。
オフ会ではバンブラの合奏だけでなくカラオケやボーリング、観光、果てにはスタジオセッションまでも行われて、バンブラは自分の可能性を限りなく広げてくれました。
バンブラと私
バンブラで得たもの
音楽
音楽の聴き方が、バンブラをプレイする前と後ではがらりと変わりました。
普通の音ゲーでは、後ろに音源が鳴っていて、その音源とは別にプレイ用の譜面があってその譜面に沿ってプレイ、という形式だと思います。バンブラでは、上に貼った画像の通り、バンブラでは楽曲から聞こえる音のすべてが演奏可能です。普通の音楽の聴き方をしていると聞こえない、裏のベースやギター、ドラムや管弦楽器といった伴奏に意識が向くようになりました。
また、どんな曲を聴いても「この曲はバンブラで耳コピできるだろうか。できるとしたらフルなのか、カットが入るのか...」みたいなことを考えてしまうようになりました。
友達
出身地や年齢層、仕事、性格など、普段通りの生活をしていては出会えないような様々なバックグラウンドの人と友だちになれました。
ときにはオンラインでゲームをし、ときにはツイッターでふざけあい、ときには飲みに行き、ときには旅行し、ときには人生相談に乗ったり乗ってもらったりと、とにかく濃密な時間を過ごさせてもらいました。
バンブラ P が事実上のサービス終了を迎えてから早 3 年半近く、一緒にオンラインでバンブラをプレイすることはできなくなりましたが、交流は続いています。つい先日も、悲願 3 度目の白浜オフにて、とても懐かしいメンバーで集まってオフラインでの合奏ができました。
また、バンブラ界隈を飛び出して、吹奏楽繋がりでも何人かと演奏会をご一緒させてもらって、リアル方面での繋がりも生まれました。
これから
これからも、バンブラは細々と続けると思うし、バンブラで出会った人たちとは縁を繋いでいきたいと思っています。
バンブラの次回作が出るのをずっと待っているし、それまではバンブラ P を大事に遊んでいくと思います。
私のように思っている人、私よりももっと懸命にバンブラを楽しみ続けている人がこの界隈には数えきれないほどいます。 今回のアドベントカレンダーも、そんな人達のうちの一人が企画してくれました。この場をお借りして、お礼を言わせてください。
バンブラで遊ぶ機会をくれてありがとうございました!来年は必ず耳コピを投稿します!!